気分を成就させる ー〝その瞬間〟の積み重ねー
昨日、〝浄化〟について書いてみてから、一夜明けて、改めて感じたことがありました。
それは、いかに自分の〝気分〟を良くさせるかということの重要性についてです。
今、世の中はこういう状況で、漠然とした不安や落ち着かなさ、何をしたらいいのかわからないという気持ちを感じている人も多いのではないでしょうか。
今年になってから「風の時代」に入ったと言われ、去年突如として始まった、新型コロナウイルスCovid19の流行によって世界中の人々が自粛生活を余儀なくされています。
言ってみれば、私たちの生活の基盤が、何もかも、以前の状態とは違うのです。
この〝変わってしまった〟ということを嘆く気持ちの人も、喜ぶ気持ちの人もいるでしょう。
私個人としての感じを言えば、「喜んでいる」方です。
元々出不精でしたし、事情があって、自粛以前から自由に外出がままならない生活を続けていましたので、コロナによる自粛といっても自分の生活自体にはそれほど大きな変化は感じませんでした。
かつては海外で生活していたこともありますが、今は年齢も重ねて、重いスーツケースを抱えて空港から空港へ渡り歩くことは、正直キツイなと感じるようになっています。
ですが、今はネットで外国の風景を見ることも出来ますし、海外に住む友人とも瞬時に繋がることが可能です。人との交流において、昔のような地理的時間的な制約は無くなりました。
ただ、人と直接会えないとか、国外の空気を体感出来ないといったことには、一抹の未練を感じますが、それくらいです。(またいつかそういうことが出来るようになると信じてはいますが)
というわけで、この世の中の変化について、私個人としては、それほど大きな、そしてマイナスの影響を受けていません。
そして、今は特に、個人個人が家の中で、自分の内面に真っ直ぐに向き合っていくことが大切な時期なのではないかという風に考えています。
〝おうち時間〟の真髄とは、そういうことなのかもしれないな、と思ったりもします。
〝家〟という、超個人的な場所で、自分の本質について突き詰めていく。
自分が本当は何を欲しているのかについて、真摯に探っていく作業をする。
具体的には、何でもいいのです。料理をしたり、掃除をしたり、家族など身近な人と、気の置けない会話をしたり……。そういう日常の行為をちょっと身を入れてやってみる、といったことでもいいのだと思います。
或いは、心と体を楽にして、ただぼんやりとする時間を過ごす。すると、そんな時に、〝自分の好きなこと〟、〝やってみたかったこと〟が、本当にぼんやりと、どこかから湧いてくると思います。
絵を描いてみたかったな、とか、思ったことを日記につけてみようとか、ネイルをやってみたかったな、とか、棚を作ってみようかな、とか、時間を忘れるぐらいとことんゲームをやりたかったな、とか、筋トレというものをやってみようかな、とか、美味しいコーヒーを追求してみたい、とか、ワインやウィスキーに凝ってみたい、とか、編み物をやってみたかったな、とか、観たかった映画を全部観てしまうことにしよう、とか、逆に今まで読んだことのないジャンルの本を読んでみようかな、とかとか……。
家に籠っていたとしても、ざっと挙げただけでこんなにもチョイスがあります。もちろんこれだけに留まらず、まだまだ無限にやりたいことは出てくるかもしれません。
逆に、もったいないかもしれないと思うのです。
今はもしかすると、社会に出て、気の合う人も合わない人もいるけれど、とにかく色んな人にまみれて外的ストレスにも晒されながらやらなければならない活動を、全てシャットダウンして、ようやく自分自身と向き合える時間を取れる、貴重なチャンスと言えるかもしれないのですから。
そして、〝好きなこと〟をしている時間には、面倒臭いなとか、億劫だなといった思考は働かず、ただただ時間を忘れて没頭することが出来ます。あれっ、もうこんな時間か……。といったことになることが多いです。
そして、そんな時は、例外なく〝気分がいい〟です。
〝好きなこと〟をしている時は、夢中になれて、それが多少辛いことでも、長々と続けなければならないことでも、やっているとあっという間に時間が経ってしまいます。
逆に、〝好きなこと〟でないことをしている時は、やけに時間が経つのが遅いと感じますよね。そういう時には、出来るだけ労力を惜しみたくなります。
「労力を惜しむ」というようなことではなく、〝その時〟、〝その瞬間〟を心から楽しんでいる
という経験を、大切にしていきたい
と思うのです。
その「気分の成就」とも言える瞬間を積み重ねていけば、真の幸せに到達出来るのではないかな……と、そう感じました。
あれっ? 片づいていく? ー浄化ー
昨日の日曜日、時間があったこともありますが、何故か急に思い立って部屋の整頓をしました。(ちなみに、写真は自分の部屋ではありません)
整頓と言っても、衣替えを兼ねた洋服の点検と整理。暑くもなく寒くもない日だったので、気がつくと外出着を中心に、持っている洋服を全部チェックしていました。
こんなことを言うのも何ですが、私はお掃除が苦手です。
整理整頓というものとは、もう長い間ご縁が切れていました。
子供の頃は、割ときちんと片づけられる方だったのですが、大人になるにつれ、どういうわけかどんどん〝適当〟になっていって、身の回りが散らかっていても平気で過ごせるような性格になっていきました。
子供時代は単純だった世界が、色々な人と出会い、沢山の経験を経る内に、ひと言では言えない複雑な世界になっていった為……なのではないかな……。振り返るとそう思います。
言い訳ではないですが、どちらかと言えば不器用な方で、世界の複雑さにいつからかついていけなくなっていたのかもしれません。それでいつも混乱しているので、身の周りのことをきちんと整理するということが出来なくなってしまったのかな、と。
そんな私が、本当に、何十年という時を経て、初めて昨日、
「あれっ? 片づいていくじゃないか?」
という感覚を持ちました。
長年買い溜めた洋服は、春物夏物秋物冬物と、全部合わせればかなりの分量です。それをずっと横目で見て見ぬフリ……というか、夏物と冬物ぐらいは交互に季節ごとに取り換えていましたが、触ると言ってもそんな程度でした。
ところが、昨日は何故か、不思議なくらい、洋服を広げて見るのが楽しくて、「わあ、私こんな可愛い服持ってたんだ」とか、「この上衣とこのスカート、意外と合う」などと、独りでファッションショーもどきのことをして延々遊んでいる自分を発見したのです。
そして、自分の持っている洋服全てに、強い愛情を持っていることに気づきました。ファッションショーもどきを終えて、洋服を片づける時、一着一着に「好き♡」と心の中で語りかけながら、大切に畳んで引き出しにしまいました。
もう何十年と、こんな風な気持ちになったことはなかったのに……。
春だからですかね? 陽気に誘われて、ウキウキしているだけなのかもしれません。
けれど……。
自分の中で、ほんのひとかけらの閃きに過ぎないのかもしれないですが、確実に何かが変わった……、シフトしたという感覚を得ました。
前へ進む時って、スタートで、どの方向に向かうか、ほんの少しの角度の違いで、のちのち全く違う方向へ進んでいるものですよね。
その角度次第で、気持ちも違う、景色も違う、どんな場所へ進んでいくかわからない。
今自分は、このスタート地点にいるのだな。そして、〝望む場所〟へ進む角度に、方向を調整出来つつあるんだな、と、いう気がしました。
現実が変わっていくためには、まず浄化。と、よく言われます。
この浄化へ向けて、ようやく進むことが出来そうな予感がしています。
それが昨日得た、気づきです。
新しい始まり ー意識をフラットにするということー
2021年の5月がスタートしました。
戸外に出ると、空気が匂います。木々が芽吹き、花が咲き、春の匂いを発散させているのでしょうね。とても柔らかくて優しくて、思い切り吸い込むと、明るい気持ちになります。
毎年新しい季節になると、心がシャキッとするのですが、今年は何だか違う気がしています。
太陽の光は眩しいほど明るく、風は芳醇な中にも鋭い切れ味のある余韻を残して吹き抜けていく……。
いま、この世界の空気は、驚くほど軽快です。
私達の目ではまだ見えない領域で、何か確実に進行しているような気がします。それも、そう遠くない将来、誰の目にも見えるものになって世界に出現するのでしょう。
この5月の始めの気配を受けて、また、少しずつ、自分の思いや気づいたことを書き起こしていこうかな、と思いました。
日々生活をしていく中で、ほんの一瞬、それはもう無意識の世界と言ってもいいようなところで、微かに何か感じることがあります。
それが「何である」と確信することは出来ないのですが、「もしかしたらこうじゃないかなあ」と言うことなら出来そうな気がしています。
ですので、そういったことがあった時、出来るだけ自分の感覚に忠実に、「これなんじゃないかな」と思うことを書いていこうと思います。
そういうことがある時って、高次元の存在……特に天使からのメッセージなのだなと、自分では感じています。
以前、よくお世話になっていたAさんという方に、「~私の名前~さんは、天使の振動数と共鳴していますよ。同じ波動を持ってる」と言っていただいたことがありました。
天使の振動数…○○ヘルツとおっしゃっていたのですが、数字に弱い私は記憶することが出来ませんでした。それでネットで調べてみると、……4096ヘルツ?ですか?それが天使の振動数なのだそうです。
ともかく、4096ヘルツの天使の振動数に共鳴しているらしい私は、天使という存在に最も親しみやすさを感じます。
これはAさんに言われる前からの兆候で、私の場合、ぼんやりとではありますが、
イエスやサナンダ、アシュタールやマリア様やガネーシャ、竜神、モーゼ、ヨーガナンド、観音様、天使たちなどなど…
地球のアセンションをサポートして下さっている沢山の高次元の存在の中で、どなたと一番近しく感じるかい?と聞かれたら、やっぱり私は〝天使〟!だろうな、という気がしていたのです。
もちろん、高次元の存在はどなたも大好きです。地球上の生きとし生けるもの全てに、遍くその愛とサポートを注いで下さる存在たちは、皆尊く有り難いと心から思っています。
ただ、その中でも特別に〝惹かれる〟存在、それが私にとっては天使たちだということです(例外的に、その容貌からガネーシャも好きですが)。
そういう〝引き合い〟の作用か、天使たちはしばしば私に数字やサイン、偶然の一致(シンクロニシティ)などといった形でメッセージを送ってくれます。
忙しくしている時や、頭をフル回転させて何かをしているという時には、そういう瞬間はあまり訪れません。むしろ、自分のスイッチをオフにして、ボーッとしている時に限って、〝気づき〟とも言えるその瞬間は訪れるようです。
意識をフラットにすること。
ひとりで過ごしている時は、それを心がけてみようかな、と。
そうした方が、〝気づき〟や〝メッセージ〟はやって来やすいのかな、と思っています。
気持ちのいい季節が始まり、この先の1年が楽しみです。
数字は天使からのメッセージ
しばらく天使からのメッセージのお話を書いていませんでしたが、近頃インスピレーションを得たとでもいうのでしょうか、再び数字のメッセージが気になってきましたのでお伝えさせて下さい。
普通に生活している中で、ふと連続した数字が気になることがあります。この数ヶ月の私の場合は、圧倒的に555が多く、その次が333、次いで777といった感じでした。
555の数字が示すメッセージの意味を下に引用します。
シートベルトをしっかり締めてください。大きな人生の変化がやってくるからです。この変化は「肯定的」「否定的」というふうに見るべきではありません。なぜならすべての変化は人生の流れの自然の一部に過ぎないのです。この変化はあなたの祈りへの応えかもしれません。ですから心を静にして自分自身を見つめ感じ続けてください。
続いて333の意味です。
アセンデット・マスターたちがあなたのそばにいます。そして彼らの手助けと愛がありそのそばにいることをあなたに知って欲しいと願っています。アセンデット・マスターたちをたびたび呼んでください。特にあなたのまわりで数字の3のパターンが見えたときにはそうです。よく知られたアセンデット・マスターたちにはイエス、モーゼ、マリア、観音、それにヨーガナンドなどがいます。
最後に777の意味です。
天使はあなたに拍手を送っています。おめでとうございます。あなたは波に乗っています。頑張り続けてください。そしてあなたの願いが叶いつつあることを知ってください。これはかなり肯定的な印でさらなる奇跡が起こることを予期していいのです。
数ヶ月前から、この数字の連続を度々見てきました。555に関しては、意識し始めたのは数年前からだったかもしれません。
そして聞いてください。
今、個人的に人生がシフトするかもしれない大きな流れが来ているのです。ある手段を使ってアファメーションを続けていたということもあるのですが、実際にその時を迎えようとしていると、何だか緊張すると共にワクワク興奮してしまいます。
そのシフトが起こってしまって落ち着いたら、このブログ上でまた発表させていただきますね。
そして、2,3日前に気になった数字の連続がこれです。
000
あなたは神と一つであるということ、そしてあなたの創造主の愛を内面に感じるよう思い出させているのです。そしてさらにある状況が一巡してまた振り出しに戻ることも意味しています。
222
あなたが新たに植えたアイデアが現実になるよう育ち始めています。水と栄養をやり続けること。そうすればじきにそれは土を突き抜けて育ち現実化しているという証拠を見ることができるでしょう。言いかえるなら奇跡が起こる5分前にそれを止めてはいけません。それが実現しているのがじきにあなたにもはっきりと眼に見えてきます。ですからそのまんまがんばり続けてください。肯定的な思考を持ち続けアファメーションを言い続けビジュアライゼーションを続けてください。
そしてまた 55 でした。
天使からのメッセージ、大切に受け止めてアファメーション、ビジュアライゼーションをこれからも続けていきたいと思います。
このブログを読んで下さっている皆様も、日常で目にする数字の連続に意識を向けてみて下さいね。天使からのメッセージが隠れているかもしれませんよ。