レインボウ・ジャーニー

アセンションをご一緒に!Yahoo!ブログで13年間続けてきたブログを今回こちらに移行しました。主に"目覚め~despertando.me”などからの転載記事になりますが、折りを見て自分の文章も織り交ぜていこうと思っています。魂の旅は、まだまだ続きます……。

夏本番! 今年の夏小説チョイス、第一弾は、 ヘミングウェイ ”海流のなかの島々”。

 8月ですねぇ。扉絵を思いっきり夏っぽくしてみました。

 夏は暑いっす。あつはなついっす。昔、大学の先輩がこんなこと言ってたっけ…。くだらないくだらない!(笑)

 と、いうわけで、夏には夏の”読みたい本”があるということで、その辺のことを少しずつ書いていこうと思います。

 夏といえば、夏ですからねぇ。いかにも夏らしい小説を読みたいですね。私の今年の夏小説チョイスは、手始めとしてヘミングウェイの「海流のなかの島々」。実はこの3日間読んでるんですけど、色々思うとこありながら、とりあえず「海!」の描写にどっぷりひたれるので満足して読み進んでます。今上下巻のうちの上巻を読み終えたところなんですけど、なかなか「パパ!」ヘミングウェイの世界ですよ。

 世界を股にかけて人生を謳歌してきた男、トマス・ハドソン。画家としての名声は確立されているが、今は世俗を離れ、メキシコ湾流の中に浮かぶ島に腰を落ち着けて、自分の仕事に没頭している。

 そのハドソンを、3人の息子たちが夏休みを過ごすために訪れて来る。長男の通称”若トム”はハドソンの最初の妻の子供、他の2人、デイヴィッドとアンドルーは2人目の妻の息子たちだ。

 作家で友人のロジャーを加えて、男達の夏休みはのんびりと過ぎていく……。

 主な登場人物は全て男性で構成されているというのがすごい。そして、彼らの生活ぶりも、今現在私がいる場所から言うと、ひどく遠い世界の出来事のようにかけ離れていて、またすごい。

 ハドソンはクルーザーを所有し、島の生活を快適にするために、使用人として地元の黒人を雇っている。使い走りみたいな役柄の少年と、家の細々した用事をするジョゼフ、そして料理番であり小間使いであるエディー。N.Y.から船便で届くくしゃくしゃになった新聞にアイロンをかけたり、ハドソンのためにこまめに飲み物をつくること(もちろんアルコールである。ハドソンはジン・トニックにアンゴスツラ・ビターズというトリニダード原産のキニーネの味がするドロップを入れるのがお気に入りらしい)からクルーザーの管理まで、彼は一人で見事にこなす。一家に最も近い存在でもある。

 このエディーは3人の息子たちを小さい頃からよく知っていて、ベッドの支度をしたり、食事の世話をしたり、時には叱りつけることもあるようである。主と召使という間柄ではあるが、3人の息子たちはこのエディーを父親のように慕っているし、エディーも3人の面倒を見たり、我が子のように心配したりする。ハドソン一家と土地の黒人との関係の中で、面白いと思ったのは、彼らと黒人たちが、親友であるかのように同等の物言いをすることだ。そこには雇使間の窮屈な上下関係といったものはまるで無く、むしろ朋友ででもあるかのような親密さが漂っている。

 しかしそれもありながら、更に興味深く思ったのは、エディーら使用人とハドソンたちの実生活の境界線がくっきりハッキリと引かれているということ。

 これは別に規則や何やらで、などというわけではないのだが、彼らの感覚、取り分けエディーの言動や心持ちといったものの中に如実に表れていると思った。

 たとえばある日、島に連絡船で上等のステーキ肉が届いた。エディーはそれを自分が食べたいという気持ちすら起こさないらしく、ごく当たり前のように、ハドソンにそのことを告げ、それをどのように調理するかといったことや、付け合わせのポテトサラダの味付けや、子供たちのためにデザートはパイにバニラアイスを添えるなどといったことを嬉しそうに話す。

 彼はまたチャツネについて話すとき、彼がその果物とスパイスの煮たものを気に入っていることを話し、これまた当たり前のように、「とうもろこしの粥に混ぜて時々食べる」と言う。そしてそういうのを、ハドソンも息子たちもごく普通のことと受け止めているらしい。

 富めるアメリカ人と貧しいカリブの島民の人生的ギャップが淡々と描かれ、誰もがそれを当たり前のことと感じている風なのが、私としては現実を突きつけられた感じがした。

 ともあれエディー自身が、割り切っているのか、そういうものだと思って疑問を挟んだことが無いのか、それとも生まれつきものごとを深く考えない性質なのか、よくはわからないが、とにかく生き生きと幸せそうにハドソン一家のために立ち働いているので、少しは救われる。少なくとも彼は精神的に独立した存在で、ハドソン一家に友達のような口をきいたり、海や釣りのことなどに関してはハドソン一家が彼を仰ぎ見るような場面さえあるのだから。

 3人の息子に夏の休暇を思い切り楽しませてやろうと思うハドソン。彼は普段息子たちと一緒に暮らすことが出来ないために、せめて一緒にいる間は自分に出来る限りの父親らしいことをしてやろうと思う。

 しかし彼が息子たちにしてあげることというのは十分過ぎるぐらいゴージャスである。島に到着してから毎日、息子たちは家の前の海で泳ぎ、磯の方に出てめいめい手作りの銛(もり)で魚突きをする。メキシコ湾流の流れ込む透き通った美しい海に、戯れる魚たち。そんな海で泳ぎ、夏の陽射しをいっぱいに浴びて夜は張り出しのポーチに置いた簡易ベッドの上で(つまり外だ)眠る。男の子3人にとって、これ以上楽しい夏のアクティビティがあるだろうか? 

 もちろん男達の物語だ。危険な場面もある。たとえば次男のデイヴィッドが魚突きに夢中になるあまり、磯の沖に出過ぎてしまって鮫と対面するところ。この時は艇の上からのエディーのマシンガン乱射で間一髪救われ、ハチの巣にされた鮫は海の底に沈んでいくのだが、そんな世界もまたすごい。その時の敵は残忍なホオジロザメではなく左右の目が横に飛び出た形をしているシュモクザメだったが、シュモクといえどもすこぶる大きなシロモノだったらしく、そんなのに襲われたらきっとデイヴィッドはひとたまりもなかっただろう。

 男達はまた、クルーザーで沖に出、釣りを楽しむ。釣りと言っても私達がまず頭に浮かべる磯釣りとか川釣りといったショボイものではなく、狙いはカジキマグロの一本釣りだ。

 よくアメリカ人が巨大なカジキマグロの釣り上げたのを桟橋に吊るしてその横に立っている写真を見ることがあるが、まさにその世界である。それをこの人達は、レジャーとして当然のようにやっているのだ。

 次男のデイヴィッドがバケモノみたいな”めかじき”を引っ掛け、6時間に渡ってそれと格闘するシーンは圧巻である。この時は釣りの名手であるハドソンの親友ロジャーがデイヴィッドの横について面倒を見る。ハドソンはデッキの上の操縦席で、船の位置を調整する。

 思えば鮫の時といい、釣りの場面といい、このハドソンは息子の一大事にはいつも友人(信頼できる人物とはいえ)に任せて、自分は後面に退いている気がする。ヘミングウェイの遺作であり、彼の本当の心情が吐露されていると言われている本作には、こんな風に実の息子に対してつい遠慮というか尻込みしてしまう著者のホンネが表わされているのかもしれないなあ、と思う。(深読みし過ぎだろうか?)

 しかしこのシーンは、上巻の中で最もページ数を割かれ、緻密に描かれているシーンで、一番のクライマックスとも言えるだろう。ロジャーの抑制された補佐も見事ながら、最後の土壇場で見せるエディーの根性もまた迫力だ。

 上巻では、このしばらく後に意外な展開が待っている。その展開を目の当たりにすると、今まで読んできた男たちの冒険描写が心(しん)に迫って目の裏に描き出され、感慨深く押し寄せてくる。

 上巻にはその後も少々の展開があるが、この大きな展開の後では大した盛り上がりを見せない。ハドソンはまた独りになり、キューバへと居を移して自らの思い出の日々に沈降していく。

 その中での猫との関係描写がいい。彼と猫とは長年睦まじい関係にあったようで、家で飼われていた沢山の猫たちのそれぞれの個性、多分全て本当のことではないかと思うぐらいリアルに書かれているそれらの性格が面白い。

 さて、これから私は下巻の方へ移っていくのだが、読み終えたら、それか読みながらもここにまた感想を書こうと思う。
 
 お楽しみに!