対象物!
Meguminさんのブログ、“プレアデスからのスピリチュアルメッセージ”からの転載です。
対象物!
人間は常に対象物の中に存在し、主観による錯覚の中で生きています。
この錯覚こそが、自分自身を苦しめるよう要因にも成ります。
主観によって作り出された幻は、自分自身の心の敵と化します。
そして心にのしかかってきます。
これは悪い印象や、比較によって生まれた、優劣性、善悪によって作り出され、様々な場面で葛藤を生み出します。
その際たるものは戦争かも知れませんね。
敵とか嫌な人というものは、個人的主観が作り出したものであって、そこには必ず比較が生まれます。
この比較によって善し悪しを判断し、自分にとって都合の悪いものを敵と見なすのです。
これは心の概念や常識、好き嫌いなどが、自分自身のカルマと結合し、ありもしない敵を作り上げるのです。
そしてその幻の敵に向かってエネルギーを放出することで、自分自身の理性を保とうとします。
これが言い合いや喧嘩という形で現れた状態です。
お互いの主張を曲げなかったり、頑固で凝り固まっていたりすると尚更です。
自分の思いと相反する人が、敵となって自分を責めてくると勘違いします。
実はそうではなく、敵と見なしている自分の心こそに問題があり、自分という色メガネが目を通して観た相手を、勝手に敵と判断したに過ぎないのです。
お互いの主張をもし神様のように、上から公平に眺めることが出来れば、多分二人の争いは滑稽に見えると思います。
天下の取り合いとはそう言うものなんです。
どちらかが上でなければ困るのですから・・・・!
出来ればお互いの良い部分を分かち合い、共生できるようになるのが、一番良いのですが、お互いに我があるため共生できないのです。
赦すとは、互いを認め合うことでもあります。
そう言う心で、お互いを認め合うことが出来れば、もう少しこの世界も良い世界に変ると思います。
この錯覚こそが、自分自身を苦しめるよう要因にも成ります。
主観によって作り出された幻は、自分自身の心の敵と化します。
そして心にのしかかってきます。
これは悪い印象や、比較によって生まれた、優劣性、善悪によって作り出され、様々な場面で葛藤を生み出します。
その際たるものは戦争かも知れませんね。
敵とか嫌な人というものは、個人的主観が作り出したものであって、そこには必ず比較が生まれます。
この比較によって善し悪しを判断し、自分にとって都合の悪いものを敵と見なすのです。
これは心の概念や常識、好き嫌いなどが、自分自身のカルマと結合し、ありもしない敵を作り上げるのです。
そしてその幻の敵に向かってエネルギーを放出することで、自分自身の理性を保とうとします。
これが言い合いや喧嘩という形で現れた状態です。
お互いの主張を曲げなかったり、頑固で凝り固まっていたりすると尚更です。
自分の思いと相反する人が、敵となって自分を責めてくると勘違いします。
実はそうではなく、敵と見なしている自分の心こそに問題があり、自分という色メガネが目を通して観た相手を、勝手に敵と判断したに過ぎないのです。
お互いの主張をもし神様のように、上から公平に眺めることが出来れば、多分二人の争いは滑稽に見えると思います。
天下の取り合いとはそう言うものなんです。
どちらかが上でなければ困るのですから・・・・!
出来ればお互いの良い部分を分かち合い、共生できるようになるのが、一番良いのですが、お互いに我があるため共生できないのです。
赦すとは、互いを認め合うことでもあります。
そう言う心で、お互いを認め合うことが出来れば、もう少しこの世界も良い世界に変ると思います。