レインボウ・ジャーニー

アセンションをご一緒に!Yahoo!ブログで13年間続けてきたブログを今回こちらに移行しました。主に"目覚め~despertando.me”などからの転載記事になりますが、折りを見て自分の文章も織り交ぜていこうと思っています。魂の旅は、まだまだ続きます……。

罪と罰


 Meguminさんのブログ“プレアデスからのスピリチュアルメッセージ”からの転載です。

罪と罰

今朝5時59分 福島沖でM7,4の地震がありました。

今月は要注意と言ってましたが、まだしばらくご注意ください。




宗教観や常識、価値観の中で、上手に植え付けられているのが罪意識です。

「〇〇しないと罰が当たるよ!」というものです。

法事をしなかったり、お墓参りに行かなかったりすると、「この罰当たりヤローが!」と言われます。


宗教だけではありません。

一般常識から外れた行動をすると、異端者扱いされます。

普通の人間じゃない目で見られるのですから、たまったもんじゃありません。

別に法律を犯しているわけでもないのに、何故か白い目で見られます。

そして自分のやっていることに罪悪感を覚えるようになり、周りと同じ事をしないと嫌われると認識します。

これが支配者のやり方です。


誰も縛ってはいないのに、自分から進んで奴隷になるのです。

これが正当化とか、常識とか、価値観が作り出す罠です。

これによって罪悪感を作り出します。

キリスト教などでは、罪深き人間などと言います。


罪を犯せば罰が待っています。

因果応報です。

しかし、本当に罪を犯しているのでしょうか?

勿論悪いことをすれば罪ですが、常識にそぐわないくらいで罪と言えるでしょうか?

でもみんなと同じじゃないと罪人扱いされるのですから、不思議です。



この世の中は、この罪と罰によって支配されているのです。

特に善人たちは騙されやすいのです。

直ぐに罪悪感を持ちます。

人を救えなかったときも、罪悪感に苛まれます。

別にその人が選んだのだから、自分が悪いわけではないのに、直ぐに自分を責めます。

悪い癖です。

でもこの悪い癖こそが、この世界に縛り付けているカルマなんです。

こうして書くと、思い当たることが沢山あると思います。

いつも悲劇のヒロインを演じている自分はいませんか?

「自分さえ我慢すれば」 とか 「自分さえ目を瞑れば」 とか 「出る杭は打たれる」 とか 「人のために尽くしなさい」 とかです。

善人ほど、これらの言葉を鵜呑みにして、自分を苦しめています。

罪も罰もありません。

勿論悪いことは駄目ですが、普通に自分の意志で生きていく権利すら脅かすものは、全て仕組まれていると言うことです。