外の世界!
Meguminさんのブログ“プレアデスからのスピリチュアルメッセージ”からの転載です。
外の世界!
外の世界!
自分の外で起きている出来事は幻です。
どうして幻だと言えるのかって???
それは幻だからです!
現に目の前で起きているではないですか!!!
そうなんです!起きています!
実は外の出来事は、自分が知っていることしか起きたことにならないのです。
世界中のいろいろな所で、いろいろな出来事が起きていますが、もしニュースでその情報を伝えなかったら、自分の周りでは何も起きていないことになります。
例えばタイの大洪水はどうでしょう??
日本に住んでいる私たちは対岸の火事でしかありません。
もちろん何らかの仕事で影響のある人はいるでしょう。
しかし私たちは知ることは出来ても経験することは出来ません。
これと同じことが、一人ひとりの生活の中で起きています。
自分が好きなこと、又は嫌いなことには意識が向きやすい傾向があります。
でもどちらでもないことや、全く関心のないことに関しては、完全にスルーしているのではないでしょうか!
全く関心のないことは、自分の現実世界では現れてこないのです。
それは起きてはいるが、体験していないことなのです。
デパートに服を買いに行っても、たくさんの服の中で、自分が関心のある服しか目に入らないのと同じです。
私達が住むこの世界は、自分が意識的に関心を抱いていることが現実化していきます。
特に嫌なことは、より関心を持っていますから現実化しやすいことになります。
嫌だ嫌だと思えば思うほど、嫌な現実が繰り広げられます。
ではこの嫌な現実から逃避すればいいじゃないですか!
嫌な事を好きになれば、嫌なことは好きな事に変わります。
「嫌な事を好きになれるわけ無いだろう!!!」とお叱りを受けそうですが、嫌だと思う心に原因があるので、嫌なことではなく関心がないことにしてしまえば、スルーできるのではないでしょうか。
井戸端会議で、人の悪口を言っているご近所のおばさん連中を批難している限り、その嫌な人々は自分の中に存在し、いつもいつも嫌な人々との世界を創り上げていきます。
しかし、これらをスルーすることを覚えると、関心を持たなくても良くなります。
関心がなくなると現実化しなくなりますから、嫌な人々との交流もなくなっていきます。
が、ここで一つの勇気がいります。
ご近所付き合いを自分の意志に反して行うか、それとも自分の意志で離れるかの決断が必要になります。
一番気に掛かるのが「村八分にされないだろうか」と言うことです。
誰かの機嫌を伺って、当たらず触らずで物事を容認してきた自分の癖を、直せるかどうかが問題になります。
ここには自分を良く見せたいという心が潜んでいますから、みんなから敬遠されるような行為は、その場所から自分の存在が無くなってしまうと思ってします。
今まで私たちが生きてきた社会はこういう社会なのです。
「仲間はずれ」と、「自分らしく生きること」は別問題であるにもかかわらず、どこかでごちゃまぜに成っていて、正しい判断ができなくなっています。
「自分はどうしたいのか?」
ここが一番大事なことなのですが、私たちは「みんながこうしているから」と、自分もみんなと同じじゃないといけないという罪悪感にとらわれてしまうのです。
これからはこの罪悪感と向き合い、「ほんとうに私は今やっていることがやりたいのだろうか?」と自分自身に問い正してみてください。
単なる見栄や体裁で、嫌々やっていることがあるのなら、折角の機会ですからもうそういうどうでもいいことは手放して行きましょう。
嫌な相手に合わす必要など無いのですし、自分が関心のないことは大いにスルーしていくことです。
そうすることで自分の現実も変化していきます。
嫌なことが減る分、楽しいことが増えます。
嫌なことに関心をもつくらいなら、好きな事に感心を持ちましょう。
嫌な世界は自分が創り出しているのですから、嫌な世界はスルーして、そういうものに焦点を当てないようにすればいいのです。
自分の外で起きている出来事は幻です。
どうして幻だと言えるのかって???
それは幻だからです!
現に目の前で起きているではないですか!!!
そうなんです!起きています!
実は外の出来事は、自分が知っていることしか起きたことにならないのです。
世界中のいろいろな所で、いろいろな出来事が起きていますが、もしニュースでその情報を伝えなかったら、自分の周りでは何も起きていないことになります。
例えばタイの大洪水はどうでしょう??
日本に住んでいる私たちは対岸の火事でしかありません。
もちろん何らかの仕事で影響のある人はいるでしょう。
しかし私たちは知ることは出来ても経験することは出来ません。
これと同じことが、一人ひとりの生活の中で起きています。
自分が好きなこと、又は嫌いなことには意識が向きやすい傾向があります。
でもどちらでもないことや、全く関心のないことに関しては、完全にスルーしているのではないでしょうか!
全く関心のないことは、自分の現実世界では現れてこないのです。
それは起きてはいるが、体験していないことなのです。
デパートに服を買いに行っても、たくさんの服の中で、自分が関心のある服しか目に入らないのと同じです。
私達が住むこの世界は、自分が意識的に関心を抱いていることが現実化していきます。
特に嫌なことは、より関心を持っていますから現実化しやすいことになります。
嫌だ嫌だと思えば思うほど、嫌な現実が繰り広げられます。
ではこの嫌な現実から逃避すればいいじゃないですか!
嫌な事を好きになれば、嫌なことは好きな事に変わります。
「嫌な事を好きになれるわけ無いだろう!!!」とお叱りを受けそうですが、嫌だと思う心に原因があるので、嫌なことではなく関心がないことにしてしまえば、スルーできるのではないでしょうか。
井戸端会議で、人の悪口を言っているご近所のおばさん連中を批難している限り、その嫌な人々は自分の中に存在し、いつもいつも嫌な人々との世界を創り上げていきます。
しかし、これらをスルーすることを覚えると、関心を持たなくても良くなります。
関心がなくなると現実化しなくなりますから、嫌な人々との交流もなくなっていきます。
が、ここで一つの勇気がいります。
ご近所付き合いを自分の意志に反して行うか、それとも自分の意志で離れるかの決断が必要になります。
一番気に掛かるのが「村八分にされないだろうか」と言うことです。
誰かの機嫌を伺って、当たらず触らずで物事を容認してきた自分の癖を、直せるかどうかが問題になります。
ここには自分を良く見せたいという心が潜んでいますから、みんなから敬遠されるような行為は、その場所から自分の存在が無くなってしまうと思ってします。
今まで私たちが生きてきた社会はこういう社会なのです。
「仲間はずれ」と、「自分らしく生きること」は別問題であるにもかかわらず、どこかでごちゃまぜに成っていて、正しい判断ができなくなっています。
「自分はどうしたいのか?」
ここが一番大事なことなのですが、私たちは「みんながこうしているから」と、自分もみんなと同じじゃないといけないという罪悪感にとらわれてしまうのです。
これからはこの罪悪感と向き合い、「ほんとうに私は今やっていることがやりたいのだろうか?」と自分自身に問い正してみてください。
単なる見栄や体裁で、嫌々やっていることがあるのなら、折角の機会ですからもうそういうどうでもいいことは手放して行きましょう。
嫌な相手に合わす必要など無いのですし、自分が関心のないことは大いにスルーしていくことです。
そうすることで自分の現実も変化していきます。
嫌なことが減る分、楽しいことが増えます。
嫌なことに関心をもつくらいなら、好きな事に感心を持ちましょう。
嫌な世界は自分が創り出しているのですから、嫌な世界はスルーして、そういうものに焦点を当てないようにすればいいのです。