与える愛と奪う愛
Meguminさんのブログ、“プレアデスからのスピリチュアルメッセージ”からの転載です。
与える愛と奪う愛
どさくさに紛れて参議院では、”国民発言禁止法”が可決・成立
マスコミの「熊本大地震報道」一色の間隙をぬって、4月15日、参議院で“国民発言禁止法”が可決・成立した。
ほとんどの人には知らされず、今でもマスコミはスピン報道に大忙し。
都合の悪い発言をするとしょっ引かれるようです。
もう日本終わった!
与える愛と奪う愛
イエスは、「愛は与えれば与えるほど愛が返って来て、奪えば奪うほど奪われる」と言いました。
では与えるとか奪うとはどういうことなのでしょう?
普通一般的には、与えるとは物を与えることで、奪うとは物を盗ることと解釈します。
人の物を盗ることが奪うこと!
簡単にいえば泥棒ですが、イエスが言った奪うこととは、そういう意味ではありません。
イエスは、愛を求めることを「奪う」と言ったのです。
「愛して欲しい」「◯◯して欲しい」こういう思いを抱いている時、周りの人から愛を奪っていることになります。
では「与える」とはどういうことでしょう?
与えるとは、物を上げたり、愛情を押し売りしたりすることではありません。
とかくお節介を焼きたがる人が居ますが、このような行為は自由意志の剥奪行為です。
本来与えるとは、「ただ行うこと」です。
そこに見返りがなく、自分が得することもなく、ただただ自分がやりたいことを素直にやることです。
例えば、老人に席を譲ることも愛の行為ですが、そこに「ありがとう」の言葉を求めている自分がいるとしたら、折角の愛の行為が、偽善行為に成ってしまいます。
空き缶をゴミ箱に拾って捨てる行為も、誰かの目を気にして、如何にも良いことをしていると思われるような行為は、偽善行為です。
誰も見ていなくても、進んで拾って捨てられる自分になることです。
これが愛の行為です。
「良く見せたい」「良い人に見られたい」「褒めて欲しい」「愛して欲しい」こんな思いでいろんな行為をしていると、全て奪っていることになります。
愛とは見返りも求めずただやるだけです。
誰も見ていなくても、自然と出来ることです。
席を譲るという本来の愛は、ただ譲るだけで、そこに「ありがとう」の言葉を期待している自分はいません。
これが宇宙の愛です。
太陽は分け隔てなく、全ての人にエネルギーを与えます。
そこに見返りはありません。
どうですか?
今まで本当に愛の行為をしてきたでしょうか?
良い人に見られたかっただけではありませんか?
マスコミの「熊本大地震報道」一色の間隙をぬって、4月15日、参議院で“国民発言禁止法”が可決・成立した。
ほとんどの人には知らされず、今でもマスコミはスピン報道に大忙し。
都合の悪い発言をするとしょっ引かれるようです。
もう日本終わった!
与える愛と奪う愛
イエスは、「愛は与えれば与えるほど愛が返って来て、奪えば奪うほど奪われる」と言いました。
では与えるとか奪うとはどういうことなのでしょう?
普通一般的には、与えるとは物を与えることで、奪うとは物を盗ることと解釈します。
人の物を盗ることが奪うこと!
簡単にいえば泥棒ですが、イエスが言った奪うこととは、そういう意味ではありません。
イエスは、愛を求めることを「奪う」と言ったのです。
「愛して欲しい」「◯◯して欲しい」こういう思いを抱いている時、周りの人から愛を奪っていることになります。
では「与える」とはどういうことでしょう?
与えるとは、物を上げたり、愛情を押し売りしたりすることではありません。
とかくお節介を焼きたがる人が居ますが、このような行為は自由意志の剥奪行為です。
本来与えるとは、「ただ行うこと」です。
そこに見返りがなく、自分が得することもなく、ただただ自分がやりたいことを素直にやることです。
例えば、老人に席を譲ることも愛の行為ですが、そこに「ありがとう」の言葉を求めている自分がいるとしたら、折角の愛の行為が、偽善行為に成ってしまいます。
空き缶をゴミ箱に拾って捨てる行為も、誰かの目を気にして、如何にも良いことをしていると思われるような行為は、偽善行為です。
誰も見ていなくても、進んで拾って捨てられる自分になることです。
これが愛の行為です。
「良く見せたい」「良い人に見られたい」「褒めて欲しい」「愛して欲しい」こんな思いでいろんな行為をしていると、全て奪っていることになります。
愛とは見返りも求めずただやるだけです。
誰も見ていなくても、自然と出来ることです。
席を譲るという本来の愛は、ただ譲るだけで、そこに「ありがとう」の言葉を期待している自分はいません。
これが宇宙の愛です。
太陽は分け隔てなく、全ての人にエネルギーを与えます。
そこに見返りはありません。
どうですか?
今まで本当に愛の行為をしてきたでしょうか?
良い人に見られたかっただけではありませんか?